創業者プロフィール

小島 淳 

生年月日 1969年11月1日

東海大学 工学部 工業化学課 1998~1992

また、化学の世界にもどってきたのは、大学に入ってだか、工業化学課は、主に、工場のプラントに 繋がる、基礎部分の勉強であるが、内容については、非常に興味深いものであった。 いまなら笑い話であるが、実験で鎮痛剤をつくっている最中に、天井を燃やしてしまった事があり、 会社に入ってきた大学の後輩がその話題を先生が行っていて、犯人が自分だと言った事がある。 この時チャンスとなったのが、東京大学への外研制度に選ばれた事であろう。 たまたま 理科大卒の大江先生の紹介で、東京大学の工学部で、卒業研究を受ける チャンスが訪れた。

東京大学 工学部  古崎研究室 齋藤恭一 ゼミ 僕の出会いの中で、強烈なのは、このゼミの先生である、齋藤恭一先生である。 早稲田卒業であったため、東京大学では、教授になれないとの事で、勤務先を移り 千葉大学の現在教授である。 この先生は、今でも、定期的なお付き合いをさせていだいている。 非常に尊敬できる人である。特に、学生時代の言われた事が仕事についてから、ボディーブローのように 効いてくるような、教え方である。 そして、他の大学の先生と違うと思うが、学生が研究したテーマの商品化にかなり力を入れているため、 この研究室から出た学生は、関連会社への就職している例が多い、残念ながら私は違う関係に進んだが。 この研究室のテーマは、放射線グラフト重合で、どんな素材でも機能性のある製品にかえてしまう。 中心研究としては、海水からウランの抽出であり、その派生技術がいろいろと市場に使われているものに利用されている。 長寿命化電池セル、超純水濾過機、半導体クリーンルームセル等に使用されて、ウランの抽出も3~4年は実用していたが、東日本震災から、汚水の放射能物質の濾過に対して今、力をいれているようです。

フコク物産 1992~2015(静岡フコク出向2005~2014)

入社時に技術部に配属、主にプラスチックの成形関連の技術担当を実施していました。どこまで行っても、商社でしたので 自分のプロフィールにも良く書きましたが、 技術コーディネーターと 名乗っていました。 製品を作りたい、お客様と、製造会社の架け橋ですが、 その会社の真の技術を知らないと 提案すら出来ないのが現状です。

そのため結構現場にも入り込んだ事もあります。 特に中小企業の社長から色々なノウハウを教えて貰った事で、本では判らないような事を結構覚える事が出来ました。 特この業界の書籍は、古すぎて実践には役に立たない事も多かった。 前半の10年は、技術部として、他の営業マンと組んで製品の受注や立ち上げに携わって行った。

製品の立ち上げで苦労したものは、様々あるが、プラスチックと金属を組み合わせた家具だろう。約54部品をほとんど1人で見ていたため約3ヶ月は休みはなかったなんてのもありました。

この時代に、大学時代の技術を使った、グラフト重合を利用した、消臭シーツを開発・販売した事があります。当時先生にも強力を得て、老人介護施設に使用いただいたが、どうしも価格が高くなる事で二の足を踏んで最終的に途中の販売店さんが中止とした。ただ、ご使用いただいた、介護施設では、全床使っていただいて、部屋のにおいが取れたと喜んでいただきました。これは、感謝される製品であったため、販売方法を考えれば、再度トライ可能と思っています。 中間の頃から、携帯電話のブームとなった関係があり、携帯の飾り部品が多くなった。 それこそ、顧客から、こんなものが欲しいと、メモ程度の図面で、価格と作り方を模索して、 価格と作り方の提示をして受注するという事が多くなってきた。 特にめんどうになるのは、成形、塗装、印刷、蒸着等の複合技術の知識がいるのと、 1番重要なのは、どのように工程間をつなぐのかが重要てした。 そのため、受注数も多くなると、簡単にキャパオーバーをしてしまい、ピークは2億/月を5人で実施していたが、 トラブルが重なってしまう悪循環が発生していた。

そんな時に工場の責任者後退となった関係で、改善活動のため、拠点を伊豆の工場に移し活動していたが、 当時の上司(工場長)が病気で他界したことで、No.2の仕事で製品改善をしていたことで、工場長に任命された。 ただ、この立場にならないと見れないものもあり、現状が把握できた。 この工場の改善については、エリアフ・ゴールドラットの提唱する、”制限法”が有効に使用できた。 言葉だけは、非常に簡単で、全体最適化とボトルネックの解消であるが、

これをいろいろ工場のレイアウトや システムに応用した。 その時に人の管理ソフトを開発した事で、複雑な工程の組み合わせて、どの製品が利益が出て、どの製品が、足 引っ張っているががわかり、改善に繋がった。 工場運営をしていると改善ポイントは、いくつもあるが、利益に繋がり影響のある、改善は実際には、1つか2つ であり、それだけやれば、利益改善につながるのです。 ただ、価値のある改善ポイントほど、若干いたみを感じる部分が多いのも事実である。 この時つくったソフトは、会社の改善のキーてあったが、今だから言うがすべて、自腹で開発した そのおかけで、黒字化につながり、その後製品で、赤字になるものは無かった。

ただ携帯製品等の、中国化のあおりを受けて、絶対量が年々減少していった事もあり、 工場閉鎖の関係もあり、 フコク物産を退職した。

株式会社カッパーゲート 2015年2月 起業

工場の新しい仕事づくりの一貫として、いくつか、仕事の企画を立てていたが、その中で、 今回通販事業を選定した。

リサーチを実施して加齢臭入りシャンプーについての需要がある事が判り アミノ酸シャンプー 森かける香風の開発を実施した。

現在、販売に注力中 [今後展開予定のビジネス]

○消臭製品の開発

○工場の改善活動支援 工場管理ソフト販売

○会社、工場法律のWeb情報発信サービス

○音楽教育ビデオ販売

○ゼーベック効果を利用した、温泉熱発電

○植物工場